江戸初期から受け継がれた正統派の塩魚汁(しょっつる) 昭和5年創業 諸井醸造所の三代目 諸井秀樹が 18年間、幾多の試行錯誤を続け完成させた鰰(はたはた)と塩だけの逸品 最低3年間、はたはたの内臓の酵素と微生物の働きを微妙に調整し、 ようやく、究極の魚醤は完成します。 琥珀色の塩魚汁は臭みとは無縁 雑味がなく、かつ、骨太な味わいは 和食のみならず、様々な料理の隠し味として、その力を発揮します。
醤油よりも歴史が長い魚醤
意外に思うかもしれませんが、現在、一般的に使われている醤油の歴史よりも、魚醤の方が歴史は古いです。
しょっつる以外にも、日本各地で数多くの魚醤が作られてきました。
四方を海に囲まれ、高温多湿な日本の気候を考えれば、魚醤が日本人の味蕾のDNAに深く刻まれていることは、想像に難くないです。
ところが、戦後、日本が豊かになると、高価だった醤油が、庶民の懐でも簡単に手に入るようになり、また、各地の魚醤の作り手が減ったことにより、伝統製法の魚醤は衰退の一途をたどってきました。
11月末から12月にかけて、秋田各地で大量に水揚げされる鰰(はたはた)を原料にした塩魚汁(しょっつる)も例外ではなく、はたはたと塩だけで仕込まれる伝統製法のしょっつるは絶滅の一歩手前まで追い込まれていました。
特に、乱獲による、はたはたの不漁により、価格が急騰した為、はたはたを大量に使用するしょっつる製造は商いとしては、極めて厳しい環境に追いやられていました。
諸井秀樹の挑戦が始まる
東京で醸造学を学び、実家の秋田の男鹿に戻った諸井秀樹は、市販のしょっつると伝統的なしょっつるの違いを知り、愕然としました。
漁師が自家用で、はたはたと塩だけで丁寧に作っているしょっつると、大量生産の市販品では、製造方法も原材料も大きく異なり、当然、味も全く違っていました。
『秋田の食文化の根幹のしょっつるが滅べば、秋田の食文化も崩れてしまう!』
そう考えた諸井醸造所 三代目 諸井秀樹のしょっつる作りの挑戦は始まりました。
そもそも、醤油屋で醤油や味噌を作っていた諸井醸造所ですが、原材料が穀物と魚では天と地くらいの違いがあり、その道のりは困難を極めました。
目指すしょっつるの条件は2つ
原材料はハタハタと塩のみ。
魚臭い(生臭い)ものではなく、上品でまろやかな味。
1982年から始まった挑戦は、2000年にようやく実を結び、
満足がいく『しょっつる』が完成しました。
蔵の中で微かに活動する、はたはたの内臓の酵素と微生物
全国各地の魚醤の多くは、促成製造技術を利用しており、比較的に短い時間で製品化しますが、諸井醸造所の基本は自然の力を上手に調整するのみです。
最低でも3年間、鰰(はたはた)と塩が、琥珀色のしょっつるに変身するまで、じっくりと時間をかけます。
新鮮なはたはたを天日塩と一緒に漬け、仕込み樽に入れ重石をして、ときどき櫂棒でかき回して空気を入れるだけ。他には基本的に何もしません。
ただし醸造期間中は、発酵環境に細心の注意を払う必要があり、まったくの手放しというわけにはいきません。発酵がより良い状態で行われる様に手助けし、自然の営みを見守り、ただひたすらに待つ以外にありません。
3年経った状態で、骨は底に沈み、もろみ部分は表層に浮き、間に琥珀色のしょっつると、三層に分かれています。この琥珀色のしょっつるを瓶詰して出荷となります。
非加熱は加熱よりも、より香り高い!イタリアンでも力を発揮します。
比べてみるとわかりますが、非加熱のしょっつるの方が、香りに華があります。
力強く、透きとおった 『諸井醸造所のしょっつるの旨み』 は、『ほんの一滴』でも、料理に深みを与えてくれます。
癖があり生臭い、一般的な魚醤と一線を画すのが、諸井秀樹の逸品です。もちろん、伝統のしょっつる鍋や貝焼き(かやき)には最高です。意外ですが、イタリアンにも良く合います。それもそのはず、もろみの味はアンチョビに極めて近い風味です。
究極の10年熟成のしょっつる
恐らく、世界中の魚醤産地を訪ねても、10年間、瓶詰しないで活かした状態で熟成しているものは稀有だと思います。
最高の状態で発酵と熟成がコントロールされている蔵 諸井醸造所ならではの究極の逸品です。
その香り、味わい、角が取れたまろやかな美味はまさに珠玉の魚醤です。一滴一滴、大切に使いたいです。