明治から続く 岡山は究極のぶどうの里
明治初期まで、日本でぶどうと言えば、甲州ぶどう。
江戸時代はもちろん、明治初期に至っても、食用のぶどうと言えば、甲州ぶどうくらいしか有りませんでした。
日本における、ぶどう栽培史の大変革は、明治初期の欧米品種の導入でした。
明治政府は今では信じられないような思惑で、ぶどう栽培を奨励したのでした。
なぜ? 明治政府はぶどうに力を入れたのか? それはぶどうが荒地を好み、ワインを作ることが出来るからでした。
荒地でぶどうを作り ⇒ ワインを造り ⇒ 日本酒の代わり日本人がワインを飲む ⇒ 醸造用の米が主食用にまわせる ⇒ さらにはワインを輸出して外貨も稼げる!
何と明治の先達は深慮遠謀があったことか・・・・・
ところが皮肉なことに、日本のワイン造りは頓挫し、一方で勤勉な日本人は世界に誇る、素晴らしい生食用のぶどうを開発し続けることになります。岡山のぶどう史はまさに、そうした明治からに現在に至るまでの、農家の苦難と成功の歴史です。
マスカット オブ アレキサンドリア と 瀬戸ジャイアンツの名産地 倉敷市船穂町 二人のぶどう名人が三十数年の苦労を語る
私が訪ねたのは、船穂ぶどう部会の平本部会長と小宮山副部会長です。
『 三十年前の船穂のぶどうは、卸売市場で足蹴にされるほど、品質が悪かった。』
平本会長談
今では有数の『マスカット オブ アレキサンドリア』 と
『瀬戸ジャイアンツ』 の産地として有名な船穂地区。
それが三十数年前は低品質のぶどう産地だったとは驚きです。
『この三十数年間、約百軒のぶどう農家が一致団結して、品質向上に努めた結果が、今の船穂です。』 平本部会長談
なぜ、船穂のぶどうの品質が向上したのか?二人のぶどう名人に話を伺ったことろ、いくつかの船穂の特徴がわかりました。
1.狭い地域に百軒のぶどう農家が集中していたので、常に最新・最良の栽培情報の共有化が可能だった。
2.多くのぶどうから良い実をならせる木を選抜し、その木を共有して苗木を作り、共有化した。つまり、自分だけ良ければ的なけちな輩がいなかった。
3.百名の組合員から、検査官を選任し、毎年交代で品質を厳しくチェックする体制を作り、さらに、目合わせ会を開き、品質レベルの向上と維持に努めた。
つまり、三十数年間、船穂地区のぶどう農家はお互いに成功や失敗の情報を共有化し、切磋琢磨して、今の不動の地位を築いたわけです。
ひとつの疑問 なぜ、アレキサンドリア・オブ・マスカットは高価なのか?
素晴らしい香り、糖度、大きさと形、気品ある色。アレキサンドリア・オブ・マスカット(以下、マスカット)は日本一素晴らしいぶどうなのは間違いないです。
しかし、何故?とても高価なのでしょうか?
何と言っても、とても作るのが難しく、非常に多くの手間と職人技が必要です
エジプト原産のマスカットは雨と寒さに弱く、温暖で少雨の岡山でもハウス栽培です。
さらに、芸術的に美しい粒の配列は、まさに、盆栽技術といっても過言ではないです。マスカットの美しさは自然のなせる業ではなく、途方も無い手間と職人技(農家ではなく、あえて職人と呼びます)が生み出す、人工美と言っても過言ではないです。
先ずは花が咲く前につぼみを摘みます。摘むと言っても、指先ほどの小さなつぼみ。
どのつぼみを摘み取り、どのつぼみを生かすのか?まさに、想像の世界です。
その後、「1番間引き」「2番間引き」「仕上げ間引き」と1房に4回も手をかける必要があります。この間、職人は常に最終のプロポーションを想像しながら、マスカットの実の隙間を調整し、不要と思われる実を摘むわけです。まさに盆栽です。
単純な比較は出来ませんが、デラウエアなどと比べると、3倍以上の手間が掛かります。つまり、マスカットは果物でありながら、職人が作る工芸品なのです。 当然ですが、それぞれの職人が自然条件も加味し、最も良いと思われる選択肢を選び続ける結果が、立派なマスカットを生むのです。
まさに究極の岡山ぶどう 瀬戸ジャイアンツ
同じ小宮山さんの園地には瀬戸ジャイアンツもなっていました。
瀬戸ジャイアンツ 別名、桃太郎ぶどうと呼ばれる、大きくて美味なぶどうです。
1979年、グザルカル(赤色系葡萄)とネオマスカット(緑色系葡萄)をかけあわせて生まれた新しい品種です。
肉質はシャキッとしていて、独特の食感と旨味があります。また、皮が薄く、種もないので、丸ごと(皮ごと)食べられるのが特徴です。
瀬戸ジャイアンツ とても栽培が難しい
もちろん、マスカットの流れを引く瀬戸ジャイアンツ 栽培は非常に難しいです。
さらに、瀬戸ジャイアンツは枝が上に伸びるので、それを落ち着かせるのが難しいです。枝の方向を調整しようとすると、簡単に付け根が折れてしまいます。
そこで職人は枝にねじりを加え、折れないように整形していくのです。
このあたりの技はまさに 『盆栽技術』 です。私が園地を伺った時は、まだ8割くらいの成長でしたが、既に瀬戸ジャイアンツは立派に自己主張をしていました。
進化を続ける岡山のぶどう栽培 独自品種の オーロラ ブラック
岡山県農林水産総合センター農業研究所が開発した新品種「オーロラブラック」は 大粒・種なし・高糖度、さらに、農家にとって作り易いブドウの新品種開発を目指して「オーロラレッド」の自然交雑から生まれました。
岡山県の次世代フルーツとして期待されていますが、まだまだ、栽培面積が少ない上に、見た目はピオーネに近いのに、ピオーネとは栽培ノウハウが異なるので、上手に作れる農家も少なく、まだまだ、全国的には幻のぶどうです。
果皮は紫黒色でピオーネより色が濃く、果粒は14〜17gと大きく、糖度も17〜18度と高く、肉質はよく締まり、脱粒しにくいので、収穫後の日持ちも良いです。
平成15年2月に品種登録されたオーロラブラック 少し皮が固いですが、そのまま皮ごとでもいけると思います。何と言っても、ぶどうの皮にはポリフェノールが豊富です。特に色の濃いぶどうにはアントシアニンが豊富です。
オーロラブラック 非常に濃い紫と言うか、ほとんどブラックなぶどう 味も濃厚です。
私が訪ねたのは、JAびほく 松川さんの圃場です。標高430mの山の上に広がるぶどう園には、ちょうど収穫期に入ったピオーネ、さらに、これから収穫開始となるオーロラブラックがたわわになっていました。
通常、夜の温度が下がらないと、ぶどうは着色しにくいですが、松川さんのオーロラブラックは非常に濃い紫、見る角度によっては黒に見えるほどです。
収穫開始まで数日と迫った黒いぶどう、試食しましたが、実に濃厚で美味。私は皮ごと食べましたが、気になりませんでした。
究極の品種 シャインマスカット 次のブランドぶどうの最有力候補
農研機構 果樹研究所が開発した ブドウ新品種 シャインマスカット
☆ 良いとこ取りを目指して開発された究極のぶどう ☆
キーワードは 大粒+種なし+マスカット香+歯切れ良さ+高糖度+栽培易さ
1988年に果樹試験場安芸津支場(現 果樹研究所ブドウ・カキ研究部)において
「スチューベン」×「マスカット・オブ・アレキサンドリア」)に「白南」を交雑して育成した二倍体の系統で、ブドウ安芸津23号と呼ばれていました。
2006年3月9日にシャインマスカットとして品種登録され、ようやく、全国的に生産が開始された新品種です。
非の打ちどころがない、スーパー品種 シャインマスカットの特徴
1.果皮色は黄緑色でマスカットの香りがあり、かみ切りやすくて硬い肉質で大粒
2.糖度が高く(20度程度)、酸味が少ない
3.種なし栽培が可能
4.果皮が比較的薄く、皮ごと食べられる
5.日持ちは「巨峰」・「ピオーネ」より長い
6.黒とう病には強くないが、べと病や晩腐病には「巨峰」に近い耐病性がある
7.短梢剪定栽培が可能(栽培管理が効率的)
マスカットの巨匠 入江澄さんも惚れこむ、シャインマスカット
私が訪ねたのは、岡山県温室園芸農業協同組合 代表理事組合長 入江澄さんの シャインマスカットとマスカットの圃場です。
入江さんはマスカット栽培に精励し、様々な最新設備をいち早く導入し、厳格な着果量制限や堆肥中心の施肥・土壌管理技術等を導入し、高品質安定生産を確立し、その技術を、温室園芸農協組合員へ広く普及させた、岡山ぶどう界の巨匠です。
また、出荷形態の改善による販路拡大や、非破壊糖度計導入による糖度保証の取組を進めるなど、高付加価値化や産地の活性化に大きく貢献し、何度も功労を称えられる表彰を受けています。
『ようやく実ったシャインマスカット これから益々良くなります!』入江さん談
まだ、樹が若く、樹勢をコントロールできないのと、品種の特性を掌握していなとは言え、流石、巨匠は違います。たわわに実るシャインマスカット 大きさは700g〜1,200gという感じです。
スタジオでの撮影用に頂いた大きなサンプルは何と1,258g 圧巻です!
見た目はまさに好々爺の入江さん 2010年のシーズンを75歳で迎えた巨匠の目は、究極の新星ぶどうを前に、さらなるチャレンジに燃えていました。
入江さんいわく、『まだまだのシャインマスカット』でも圧倒的なインパクトです。
これから、入江さんに磨かれるであろうシャインマスカットは、どんなに姿と味と香りに進化していくのか・・・全国各地で栽培され始めたシャインマスカットですが、マスカットで鍛え抜かれた職人集団の岡山が、末恐ろしい新人をいち早くスターにする日は近い気がします。
株式会社 食文化 代表取締役 萩原章史