青森県の郷土食 お取り寄せグルメ「あおもり物産展」
青森県の郷土食
奥州・陸奥に伝わる食文化を紹介します
青森県は三方を日本海・津軽海峡・太平洋に囲まれ、内陸の中央は奥羽山脈が走っている。大きく3つのエリアに分けられ、奥羽山脈を境に西側を「津軽地方」、東側を「南部地方」、南部地方のうち津軽海峡に突き出した地域を「下北地方」と呼ぶ。古くからの穀倉地帯である津軽地方は米、夏にヤマセが吹き付ける南部地方は雑穀(粉食)、下北地方は芋と海産物を主体にした郷土料理が多い。各地域で異なる気候風土の特性を活かし、独自の食文化を形成してきた青森県。現代に伝わる郷土食、特産品の一部を紹介する。
青森県の郷土食、特産品
せんべい汁
青森県八戸市とその周辺を含む南部は冷夏をもたらす“やませ”に悩まされる地域。特に江戸時代には稲作の不作の対策として小麦や雑穀が栽培しており、麦・そば食文化が発達した。その中で誕生したのが半熟焼の麦せんべいやそばせんべいで、そのまま食べるだけでなく、汁物にちぎって入れる食べ方もしたのが「せんべい汁」のはじまり。「すいとん」系の鍋料理として、南部藩(盛岡藩・八戸藩ほか)の「ひっつみ」、仙台藩・一関藩の「はっと」「つめり」などは、家庭料理として受け継がれている。せんべい汁には野菜や川で獲れるウグイやカニ、山で獲れる記事やウサギなど季節の食材が使われてきたが、近年は鶏肉を入れることが多い。2002年に東北新幹線 八戸駅延伸をきっかけにPRされるようになり、現在では観光客にも親しまれる名物になっている。
いちご煮
ウニとアワビのお吸い物で、青森県八戸市とその周辺の三陸海岸の郷土食。漁師が獲ったウニとアワビを煮たことが始まりとされており、大正時代からは料亭のメニューとして供されるようになった。「いちご煮」の名前は椀に盛り付けたときにアワビのエキスによって白く濁った汁にウニが浮かぶ様子が霧に霞む野いちごのように見えたことが由来する。新鮮なウニとアワビをカツオ出汁で煮て、醤油で味を調えた後、青じその千切りの載せるのが一般的な作り方。ウニやアワビが高級になり家庭で作られることは減ったが、現代でもハレの日の食事として受け継がれている。
りんご
青森県でりんごの栽培が始まったのは明治時代初期のこと。現在日本で広く栽培されている西洋りんごは1871年(明治4年)に日本に導入された。1875年(明治8年)に当時の内務省勧業寮から3本の苗木が配布され、県庁構内に栽植。それから翌年の1876年春まで数百本の配布を受けて、腕利きの農家による試験栽培がはじまったとされている。その後、競うようにりんごが植栽され、大規模りんご園も誕生。鉄道の開通もあり1892年(明治25年)には東京・神田の問屋でりんごが取り扱われるようになった。
令和4年産の青森県産の林檎は43.9万トン。(※資料:農林水産省統計)。全国のりんご生産量の約60%を占める。青森県のりんご産業は経済だけでなく、文化・観光匂いても重要な役割をはたしている特産品である。
大間まぐろ
本州の最北端に位置する青森県の大間町は津軽海峡に面しており、黒潮・対馬海流・千島海流の3つの海流が流れ込む大間沖には、秋から冬にかけて太平洋を回遊して丸々と脂がのった本マグロが入ってくる。漁法は日中が一本釣り、夜間が延縄で、マグロに傷が付かず、すぐに血抜き活〆するため、品質の良いマグロを出荷することができている。
「大間まぐろ」は2007年6月1日に大間漁業協同組合より地域団体商標に登録されており、30キロ以上のマグロの頬には、ブランドの目印となるシールが貼られる。かつて地元では全く流通しなかったが、2000年に放送されたNHKの連続テレビ小説がきっかけで、大間が全国に知られるようになった。
赤身は鮮明な濃い赤で旨味の中にかすかな酸味が感じられ、トロ部分は上質な脂の甘みが舌の上で広がる。地元大間では刺身、マグロ丼だけでなく、ホホ肉のから揚げや横隔膜や喉の焼き物など希少部位が様々な料理で食されている。
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