真珠を生む貝は
身体が欲する
旨味の宝庫
愛媛県宇和島 アコヤ貝の貝柱
王や貴族しか身につけられない権威の象徴であった真珠は
中国では珍珠と呼び、体に取り入れるものとしても重用されていました。
無機質にも思える真珠層には、実に豊富なアミノ酸と様々なミネラル成分を含みます。
それがわかるのは後のこと。
古人は神秘の力を取り込みたいと考えたのかもしれません。
元をたどれば、真珠はアコヤ貝の分泌物で作られます。
まさにアミノ酸(うま味)の宝庫。
美しい真珠を生む貝は身体が欲する味です。
真珠養殖で“世界”を制した
明治期の偉業
太古から人々を魅了し、権力者が身に着けるものとあって、真珠採取は世界的に行われていました。しかしその方法は乱獲によるもので非効率でした。
日本のアコヤ貝養殖は古代から行われていたものの技術は不確かでした。明治26年(1893年)になり、御木本幸吉(現・ミキモト創業者)が、三重県鳥羽市で半円真珠の養殖に成功し、日本の真珠産業は世界トップクラスの地位を築きました。以降、養殖に適した、三重県英虞湾、長崎県大村湾、愛媛県宇和海などで発展しました。
真珠産業をけん引、
トップに躍り出た宇和島海の真珠養殖
世界トップクラスの真珠供給国となった後は、国内の主要生産拠点は愛媛へと移ります。三重の成功を追うように、宇和島でも真珠養殖が始まり、大正に入り、愛媛県において見事な真円真珠の生産に成功しました。
その後時代の流れの中で、真珠不況などの困難に見舞われるも、県外参入業者の撤退や、転業、廃業が増えました。しかし愛媛では漁協・漁連の指導が行き届き、家族経営の地元中小企業も根気よくねばりました。それが今に生き残ってこられた理由です。
これぞ愛媛の底力。1986年以降、生産量全国トップクラスを誇ります。
クレオパトラも
食した、珍珠に宿る力
古代エジプトの女王クレオパトラはその美を誇示するために、真珠を粉状にして飲んだといわれています。漢方医学が発展した江戸時代においても珍珠と呼び、処方されていました。実際、白い輝きの部分は、20数種のアミノ酸(コンキオリン)で構成されています。今でも化粧品の原材料に使われています。 そんな神秘の輝きを放つ真珠を作る貝の「貝柱」をいただこうというのが今回の商品です。
小柱のように楽しみたい
時代は令和に入り、SDGs持続可能な水産業を見据え、副産物である貝柱にも力を入れていく中で出てきたとも言えますが、
実際、真珠貝ってどんな味?食べてみたい!と誰しもが思うもの・・(そうですよね?)
アコヤ貝はウグイスガイ目 つまり帆立貝に近い仲間でもあります。食感はコリコリとしていて、真珠を守るため筋肉が発達したのかなと想像が膨らみます。それに神秘の輝きを作り出す貝の貝柱には、秘められた力があるのかも!
真珠の首飾り、とはいかないまでも、真珠の貝柱を楽しんでみませんか。
文・(株)食文化 川口