江戸っ子が愛した
美味復活!
「江戸前オイスター」
江戸前の語源となった魚は江戸前の鰻
握り寿司のネタも江戸前、
海苔も江戸前に限る
埋め立てと水質汚染で途絶えた
江戸前の牡蠣も美味だった!
江戸前ちば海苔の育つ海は、
牡蠣にとっても最高の海
江戸時代 『和漢三才絵図』
『本朝食鑑』 に
美味と記述された
江戸前の牡蠣
本朝食鑑に江戸湾で上等な牡蠣が盛んに獲れたことが書かれている。和漢三才絵図にも 「武州江戸近処の産、大にして味美なり」 とある。深川の牡蠣は文化文政期の江戸の名物だった。鮮魚を非常に愛した江戸っ子も、牡蠣は酢牡蠣・吸い物・串焼き・杉焼きなどで食べていた。日本橋に蠣殻町という地名があるくらいだ。
明治・大正時代、東京湾は日本屈指の牡蠣の養殖生産量を誇っていた。当時の東京人は新鮮でうまい江戸前の牡蠣を安価で手に入れ、大いに食していたのだ。
海苔と牡蠣の密接な関係
うまい海苔と牡蠣が育つには、ある条件が必要となる。それは干満差と河川から流れ込む大量の真水と栄養分とミネラル分。東京湾にはそれらが揃っている。江戸時代、海苔の大産地だった東京湾の牡蠣がうまいのは偶然ではない。
夏場、果胞子の海苔は牡蠣殻などに住みついて成長する。つまり、牡蠣が育ったない場所で海苔は育たないとも言える。江戸前ちば海苔の新富津漁協が牡蠣を選んだのは必然と言える。
5年前、本格的に
養殖開始した
江戸前オイスター
海水温の上昇と黒鯛の食害などで海苔の不作が続き、海苔以外の漁師の生業を探した結果、たどり着いたのが牡蠣養殖。
南富津沿岸西部は水質的に生食出荷が可能な海域。東京湾という巨大な汽水的な海域と、深い相模湾からの海水が混じり合う、多種多様な栄養とミネラルが豊富な牡蠣にとって絶好の海域と言える。
稚貝は地元に生息する血統。養殖方法は一粒一粒の牡蠣の身が充実するシングルシード方式。
素晴らしい海と養殖技術が合体し、癖は弱いが、濃厚で非常に上質な牡蠣に育つ。
築地魚河岸の前身、
深川魚市場
江戸前の牡蠣の名産地
江戸初期、今の中央区・江東区は海で、数多くの浦(漁港)が存在した。1629年に深川猟師町として生まれた深川浦は有力な漁港(魚市場)だったが、昭和30年台、水質汚染と埋め立てで漁業権を放棄し、消滅した。牡蠣養殖はそのずっと前に途絶えていた。それが1世紀ほどの時を経て、江戸前オイスターとして復活!素晴らしいことだ。
文・萩原章史