日本三大急潮 来島海峡の海底で
砂の中や岩に擬態して身を守る
筋肉質のオニオコゼ
しまなみ街道の起点となる来島大橋を望む愛媛県大浜地区で今や本格的にオニオコゼを狙って漁をする漁師は2〜3名程度。
活け締めが原則で200gUPの身の弾力を十分に楽しめるサイズのみを選別。
現地では今でも当たり前のように消費されるというから荒潮の美味魚はなかなか首都圏に出回らない。
スズキ目カサゴ亜目オニオコゼ科オニオコゼ属のオニオコゼ
「山の神にオコゼ」
山のマタギたちからも崇められている存在
山の神は女性で、非常に醜い外見だったとされ、オニオコゼのような醜い魚を好み祀る習慣があった。
ひと昔までその風習は根強く残っており、東北地方を中心として、狩猟のプロのマタギ達はお守りとしてオコゼの干物を持ち歩き、天候が荒れると、袖から少し出して山の神に見せ、世の中に自分よりもまだ醜いものがあることを知って機嫌がよくなり、天候が回復すると信じられてきた。
現在でも登山やキャンプをする際に、南部鉄器で仕立てられたオコゼの鉄玉がお守り替わりとして重宝され、山やキャンプに持ち運ばれ、湯を沸かしたり米を炊く際にはオコゼの鉄玉を入れて鉄分を摂取できる小物に人気がある。
漁場は日本三大急潮のひとつである来島海峡潮流は
およそ10ノット荒潮に揉まれた愛媛県大浜地区の
「オニオコゼ」
西の斎灘と東の燧灘とを隔てる、瀬戸内海中部に位置する来島海峡は鳴門海峡や関門海峡と並び、日本三大急潮のひとつ。
このあたりの漁法は釣り船による一本釣りが中心で、荒潮に揉まれた品質の高い魚種が多い好漁場。
潮の流れは10ノットに達し、時速で18.5キロほどの速さというので、ひと昔の船にエンジンがない時代のことを考えると、
生きるか死ぬかの漁だった。
当時の漁師は潮の流れや変化を読むプロだった。
漁場に出た後は、潮の流れが変わるのを待たなければ港には戻ってこられず、自然が相手だから、一歩間違うと港に戻ってこられない。
勘と経験が頼りだった。
オニオコゼを専門に獲る漁師は今や数人程度。
熟練した技が漁獲に左右される中、全く獲れない日もほとんど。
大浜支所に所属し水揚げする漁師は今現在約40名ほど。
高齢化や漁師離れが進んだこともあり、オニオコゼを専門に獲る漁師はひと昔前までは7.8人だったのが今や2.3名程度までとごくわずか。
水産資源を守り、海の資源を増やす持続可能な
「栽培漁業」
漁船漁業が盛んな来島海峡では、持続可能な豊かな海にするために、従来、稚魚の放流が積極的に行われている。
つくり育てて獲る漁業である栽培漁業は、漁業者自らの手によって行われ、生活のベースである宝の海を守り続けている。
魚の放流は、人気が高く、資源として重要な価値のあるものを中心に行われ、マダイやヒラメのほか、オニオコゼの放流も行われている。
貴重な資源を未来につなぐために、さまざまな努力が繰り広げられている。
オニオコゼは砂に潜る性質があり、稚魚が砂まで潜り込むまでが難渋する。
いくら放流をしても海の底までたどり着かない稚魚がほとんど。
ある年はホースを海底の砂まで突っ込み、そこから放流したり、稚魚をかごに入れたまま海の底に沈めて放流したりと試行錯誤が続き苦労が絶えない。
活き締めが原則
釣り上げられたオニオコゼはすぐに船内の水槽に入れられる。
港で水揚げされた時点で生きていないオニオコゼははじかれ、捌かれるまでは浜の水槽で休ませ、ストレスを軽減させる。
出荷当日に締められるオニオコゼは、背びれに毒を持っているため、尾に向かって細く小さくなっていく背びれも丁寧に取り除かれるように捌き、エラ、内臓と共に処理されたものが出荷される。
(魚体は200g以上あるが、さばいて出荷するため、製品は200gを下回ることもある)
「味噌汁がうまい!」地元でもよく食べられるという
「オニオコゼ」
地元のおすすめは、
アラ入りの味噌汁に丸揚げ。
地元では普段からよく食べているというのでおすすめを聞いてみた。
開口一番に出てきたメニューは「味噌汁がうまい!」お刺身やから揚げなどが挙げられると思っていたが、「アラで作るからうまいんだよ!」と一気に言葉にも熱がこもった。
ぶつ切りにしてもそのまま丸ごとでも、から揚げは外す事のできない調理方法だ。
急流の荒波にもまれながら育ったオニオコゼは、身の締まりがよく、筋肉質。
弾力がしっかりと感じられ、身の付きも充分で、筋肉質な身を味わう事ができる。
(株)食文化 田中利佳