杉林の伐採跡地に葉や枝を集めて焼くと、その灰は肥料になり、まわりの雑草が焼かれることで除草にもなる。全世界に広がる最も古い農法の1つがこのさんぽく山焼き。日本では僅か3件しか残っておらず、そのうちの1件が新潟県最北の地、村上市山北地区だ。
ワイルドな農法で育った赤かぶはギュッと身が締まり、染めたかのような紫に近い濃い赤色になる。
コリッと歯切れの良く、甘酸っぱい赤かぶ漬けは村上市山北の冬にかかせない味だ。
山北地区の家庭では、
冬になると自然と赤かぶ漬けを欲するようになる
さんぽく山焼きの赤かぶ作りは8月に山を焼くところから始まる。杉林の伐採跡地に残された枝や葉を焼き、1週間から10日経った頃位に種を蒔く。10月上旬位になるとそのかぶは大きく育ち収穫期を迎える。早く育ったものは千切りや薄切りにされ即席漬で出されるので11月にはすでにお目見えする。しかし、本来の赤かぶ漬けらしい味とは、1つのかぶを1/4〜1/8位の大ぶりに切って漬け込んだものか、丸ごと1個を漬け込んだものだという。
雪が深くなる村上では移動が困難で、冬に野菜を摂る手段として赤かぶは欠かせないものだった。薄切りのものは日持ちせず大ぶりのものは日持ちがする。地域の人は大ぶりのものを保存していたので、赤かぶ漬けと言えばこのサイズを皆イメージする。コリっとした食感の赤かぶ漬けが冬には自然と恋しくなる。
農耕の起源を感じさせる、ワイルドな農法
さんぽく山焼き(焼畑)とは
何なのか?
日本の農耕は4500年前には始まっていた。肥料という概念のなかった初期の農耕は土地の肥沃さは今より重要だった。人々は肥沃な土地をめざして各地に広がっていったが、人口が増え土地も限られてくると、必然的にその地で収獲される量を増やすしかなくなる。その最初の解決手段が焼畑だったと言われている。
さんぽく山焼きと焼畑とは同じ意味でつかわれるが厳密にいうと異なる。さんぽく山焼きの主役はどちらかというと杉林の方にある。古くから杉の木は家屋を建築する際に用いられ、杉丸太の需要は多く人手が足りなかった。伐採跡地に再度杉の苗を植える作業を行う代わりに、農家が数年畑を借り受ける事ができた。この伐採跡地には杉の枝や葉が残され、それを燃やすと肥料にもなるし廃棄物の処理にもなった。
さんぽく山焼きは、そういった人も経済も生物も循環させてきたのかと思うと、感慨深いものがある。
先祖代々さんぽく山焼きの赤かぶを作る板垣喜美男さん
板垣さんは、村上市山北地区に移り住んで、18代目(360〜370年)になる。代々農業と林業をおこなっている。
「この辺りでは畑は無く、田んぼにするのが普通。畑にできるのは杉林を伐採した跡地しかなかった」と板垣さん。さんぽく山焼きがこの地で長く残っているのは、そういった背景があった。
「ずっとやってきた事だからね」と、さんぽく山焼きの赤かぶを作りを先祖代々続けている名人中の名人だ。
秋のおまつりや正月のお節料理の片隅にも赤かぶ漬けは必ずあり、地域の人にとって欠かせないものなのだ。この地域を出て行った人には冬になると赤かぶを贈る。赤かぶが厳しくも幸せな冬の訪れを感じさせる。
村上市山北地区のさんぽく山焼きの
赤かぶ漬けはこうして
作られる!
新潟県山北地区のさんぽく山焼きは、6月頃から候補地を探し8月の上旬に行われる。
天気が悪いと実行できないため、日付の目安を決めておいて天候次第で「今日やる」と突然決まる事もある。飛び火をしたらわかるように暗くなってから始める。
山の上から火を放ち、風の向きや地形を考慮して一直線に火が降りていく。火の勢いは人の高さにもなり、轟々と燃える。朝には自然と鎮火するように職人技とも言える絶妙なコントロールが必要になる。1週間から10日したら種を蒔く。耕す事も整地することもなく、豪快に蒔く。
まるで染めたかのような
濃い赤色に
この紫にも見える濃い赤色は、表皮の色が漬け込み液(お酢など)に流れ出したもの。それが内部の白い部分を染める事で全体が赤くなる。とにかく美しい。
味付けは、お酢と砂糖と塩、それに焼酎のみ。
甘酸っぱくて、サクッと歯切れがよく、ご飯にもお酒にも合う。食べる程に元気になり、お酒もご飯も食べ過ぎてしまうのが難点。
赤かぶは寒くなるほどに
うまくなる。
さんぽく山焼きの赤かぶ漬けは
いかが?
冷蔵庫にいただいた赤かぶを入れておいたら、それを発見した家族は、その美しさにまず驚き「おいしそう!」と声を上げていた。
この地域では菊の花なども食べるのだが、美しい色にはおいしそうと直観的に感じるものが何かあるのだろうか。
華やかな赤色はハレの日にも華を添えてくれそう。近しい方への手土産にも良いかもしれない。
文:井上真一