愛媛・内子町「善蔵 」のお菓子
消えゆく味を守りたい、と菓子問屋の三代目が選んだ“製造引受人”の道
ピーナツがアクセントになったほんのり甘い卵味のせんべいや、ゆずが香る芋けんぴ。飽きのこない味わいで、つい手がとまらなくなるお菓子を作っているのは、江戸時代の町並みが残る愛媛県内子町にある菓子問屋の三代目です。扱っていたおいしいお菓子が、仕入れ先の廃業で消えゆくのをなんかしたいと、自ら菓子職人となり製造を継承。さらに、地元産・国産の原料を積極的に取り入れ、一方でアミノ酸や香料や着色料を使わないなど、手をかけて商品を磨き上げています。
白い漆喰の壁に、ねずみ色の瓦葺きの屋根。隣にはクリーム色の壁に重なるなまこ壁――。愛媛県の内子町には、見事な町家や豪商の屋敷がずらりと連なります。江戸時代後期から明治時代にかけて、ハゼノキという落葉樹から作る木蝋 (モクロウ)の生産で大いに繁栄し、そのとき築かれた町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区として保存されているのです。
600mほど続くメインの町並みを抜けると、レトロな雰囲気が残る商店街へと続き、ベージュ色の漆喰に茶色の格子が印象的な二階建ての町屋風の店が現れます。
ここで売っているのは、地元産の素材や製法にこだわって作った自社製品のせんべいと芋けんぴと豆菓子で、「我が子菓子 善蔵(わがこがし ぜんのくら)」というブランド名の、かわいらしいパッケージの商品が並びます。店を運営する会社「宮栄商事」の社名に、この店のルーツが隠されていました。
元は菓子問屋、次々と廃業する仕入れ先に「自分が作って継承する」
宮栄商事の創業は1939年。「商事」と社名にあるとおり卸売業で、器の問屋として事業を始め、やがて菓子問屋を本業として歴史を重ねてきました。
現在、三代目として代表を務める宮瀬貴久(みやせよしひさ)さんは大学を出た後、大手食品メーカーや大阪の菓子問屋などで経験を積み、28歳のときに家業に加わります。ほどなく、当時、扱い商品の中でも人気の高かった芋けんぴを作っている工場が、廃業することになりました。
「小さなメーカーだけれど、とてもおいしい芋けんぴを作るところだったので、なくなってしまうのがもったいなく、寂しくて。社長だった父の判断で『じゃあ、うちで作ろう』となって、機械を譲り受けて(愛媛の)宇和島から運び、作り方を教わりました」。以来、問屋業のかたわら、時々芋けんぴを作っては卸売りしたり店頭で売ったりしているうちに、せっかく機械があるのだから豆菓子も作ってみようとそら豆や大豆を仕入れて、砂糖がけをした製品も開発します。「でも、あくまでも本業は問屋でした」。
小樽から陸送したせんべいを焼く機械は、昭和40年製
そのうちに、芋けんぴと並ぶ主力製品だったせんべいを作っていたメーカーも廃業することになり、今度は北海道の小樽まで行った宮瀬さん。3〜4日かけて作り方を教わり、昭和40年に作られたというせんべいを焼く古い機械を内子まで運んで製造を始めました。
少し固めのせんべい生地を、こちらも譲り受けた古い成型機で打ち出して、表面にごまをたっぷりまぶして鉄板で焼く「ごまづくし」が人気商品でしたが、北海道と愛媛との気候の違いもあってか、生地づくりの段階でうまくいかないことが続きます。「形が崩れて正規の商品にならない『お徳用』ばかりができて、お客様は喜んでくれましたけどね」と宮瀬さんは当時を振り返って笑います。運び込んだ機械も1年ほどで壊れてしまいましたが、“製造引受人”としての挑戦は続きます。今では看板商品となっている「玉子落花せん」を作ることになったのも、別のせんべい屋の廃業危機がきっかけでした。
食品添加物を使わずに作る難しさは「もっと手を加える」で乗り越えた
お菓子を作るノウハウや製造装置を少しずつ揃えていった宮瀬さんは15年ほど前、菓子問屋を完全に辞めて、本業を製造業に切り替えました。「廃業で次々と消えてしまうお菓子をなんとか残したいという思いで始めた製造業でしたが、問屋業の未来も厳しかったので、これも自然な流れだったのだと今では思います」。
宮瀬さんのお菓子作りには、5つのこだわりがあります。
一一原料の風味をきちんと残すこと
一一手に取りやすい形に仕上げること
一一アミノ酸・香料・着色料・保存料は一切使用しないこと
一一素材そのものの色・味で製品化すること
一一できるだけ、地物の農産物を優先して使用すること
製造業にシフトした頃に子育ての真っ只中だった宮瀬さんは、自身が我が子に安心して与えることができるお菓子を作りたくて、食品添加物を使わない製法を追求しました。さらに、より健康的な食材を、より地元の食材を、と原材料を一つずつ精査していきます。上白糖を粗糖に、マーガリンを太白ごま油に、一部の製品の小麦をはだか麦(大麦)に切り替え、原材料はなるべく地元産や国産から選びました。ブランド名に入れた「我が子菓子」という言葉にも、宮瀬さんのお菓子作りに対する思いが込められています。
とはいえ、食品添加物を使えば簡単に実現できる食感や色や風味も、添加物を使わないことにこだわると途端に難しくなり、苦労は尽きないといいます。例えば、愛媛県産の伊予柑風味の芋けんぴを開発したときのこと。伊予柑にはゆずやしょうがのような強い風味がないので、かなりの量の果汁とマーマレードを蜜に混ぜて芋にかけたら、表面がべとべとになりくっついて失敗作に。「人工の香料などを使えばもっと簡単に製品化できたと思いますが、食材本来の色や香りを生かしたい私は、多くの材料を加えるのではなく、もっと多くの手を加えるほうを選びます」と宮瀬さんは話します。
地元産の醤油、酒粕、トマト 魅力的な食材と次々コラボ
今回、本サイトのために用意してもらったのは3品。『せんべい詰め合わせ』、『豆菓子詰め合わせ』、そして『芋けんぴ詰め合わせ』です。
『せんべい詰め合わせ』には8種類のせんべいが入ります。やさしい甘さのものが5種類。中でも人気の「玉子落花せん」は、少し厚みのあるサクサク食感の卵生地に粗糖や黒糖のやさしい甘みが加わり、表面に散らしたピーナツの香ばしさがアクセントになった、なんとも懐かしい味のせんべいです。「何の変哲もない、昔ながらの味がいいと選んでくださるお客様が多くて、人気No.1の看板的な商品です」。使っている卵は、内子町内でこだわりの養鶏を営む農家の「EMハーブ卵」。ほかにも、焼き芋を感じさせる、カリッと薄い紫色の「焼き芋サクサク」や、和三盆の上品な甘みが魅力の「和三盆せんべい」などが特に人気です。
あとの3種類は、甘くないせんべい。中でも、ほかにはないユニークなせんべいが「めっちゃ!トマト」です。見た目はせんべいですが、パリッとかじると、トマトそのものを食べているような風味が口の中に広がります。主原料は内子町で作られているイタリアントマト「ボンジョルノ」。完熟になったものを道の駅の工場で特別に濃縮ピューレに加工してもらっています。
「(重量比で)原材料の約6割が濃縮トマトピューレなんです。パリパリとした食感を出したくて、薄焼きに仕上げるのに苦労しました。焼くときにどうしても鉄板に張り付いてしまうのですが、トマト自体の風味と色を残すにはピューレの量を減らせない。商品化を諦めかけたときに、機械のメーカーの知人から『(菓子やアイスクリームなどに使われている乳化剤の)大豆レシチンを入れては?』と言われました。試すと、確かにイメージ通りに焼ける。食品添加物を使うことにためらいはありましたが、原材料欄には明記するのでお客様の選択に任せようと決めました」。苦労して開発したこのせんべいは、チーズやワインとの相性がばっちりで、人気商品に育っています。
『芋けんぴ詰め合わせ』と『豆菓子詰め合わせ』は、それぞれ全4種が2つずつ化粧箱に入ります。いずれも昔ながらの懐かしさを残しながら原材料にこだわり、愛媛産の蜂蜜、地元内子町の酒蔵の酒粕など、地元産の食材を取り入れる工夫を凝らしています。「内子町は(人口1万5000人の)小さな町ですが造り酒屋は3つもありますし、醤油メーカーもあるし、品質の良い卵やトマトの生産者さんもいるので、挑戦しがいがあります」。
良い製品をと真摯に取り組む宮瀬さんには、新たな素材に挑戦しないかという声がかかりますが、「うちは、製造に関わっているのが40代の職人と私だけという小さな会社。今は現在のラインナップに集中し、原材料をさらに見直すなど磨きをかけて、うちの考え方に共感して選んでくださるお客様の期待に応えていきたいと考えています」。
文/大屋奈緒子
写真/八木澤芳彦、写真提供/善蔵